忍耐育児はお終い!子どもに寄り添う【子育てあいうえお】

暮らし

はじめまして、“なますて”と申します。
現在4歳と1歳の子どもを育てている専業主婦です。
わんぱくっ子たちのお世話と家事との両立に日々奮闘しております。

突然ですが皆さん、皆さんのお子さんに反抗期はありましたか?
主に幼児期と思春期の2回訪れるといわれており、子どもの自我の目覚めに伴い親や周囲の人間の意見や指示に反抗する時期のことをいうのですが・・。
はい、我が家の4歳児長女も現在第一反抗期真っ只中でございます。
はい、意見や指示に思い切り反抗されております。

私「今日は暑いから半袖のお洋服にしようか」
娘「嫌!半袖着ないの!長いのが良い!自分で選ぶ!」

私「テレビに近付きすぎだよ、もう少し離れようか」
娘「ママ嫌!テレビ観てるから!怒ってこないで!こっち見ないで!」

毎日このような感じです。
これが長ければ数年に渡り続き、次は思春期に再来するのですか。
10代のわが子の思春期、家が穴だらけにならなければ良いのですが。

毎日わが子の成長を間近で感じることができ、言葉では表現しきれないほどの幸福を感じているのは事実、しかしそれに至るまでの道のりは当然ながら楽なものばかりではありません。
まさに三歩進んで二歩下がるといった状況で、時には一歩も進めず十歩下がってしまうような日もザラです。

そんな子育ての厳しい傾斜を転びながら歩く中で前を向いて一歩でも足を進めるために、私が考える人生訓ならぬ子育て訓。
それは【子育てあいうえお】

たかだか4年ばかしの子育て経験で何が言えるというのか?
いいえ、経歴4年だからこそ、この先後悔をしないための基盤づくりにバイタリティーを注いでおります。
まだまだ初心者だからこそ語れる言葉もありますので、同じく小さなお子様を育てられているお父さんお母さん、またこれからお子様を迎えられる予定のプレパパプレママ、皆さんと分かち合えればと思っております。

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【あ】『愛はとことん伝える』

日々成長していくわが子、目に入れても痛くない程可愛い姿を見せてくれるのですが、時折見せるモンスターな一面に参ることもしばしば。
まだ幼くて上手に気持ちを言葉に表す事ができずに癇癪を起こしてしまったり、年齢が上がれば憎まれ口を叩いてきたり、わざと天邪鬼な態度を見せたり・・・。
ありのままのわが子を全力で受け止めたい気持ちは山々なのですが、残念ながら親も人間なので凹んだ心を瞬時に回復させることは出来ません。
感情的な態度や言葉を絶え間なく浴びせられれば、可愛がる余裕なんて失くなってしまいますよね。
私もついつい頭の電源を落として、何もダメージを感じないように無心で対応している状態になりがちです。
どうすれば上手く言葉を伝えられるのか、どうすれば穏やかに過ごせるのか、終わりの見えない状況に悩むことなんてしょっちゅうです。

けれど不思議と4歳の長女も1歳の長男も、愛情表現はすんなりと通じます。

ついさっきまで「ブロックが崩れた」と、「人形の着替えが上手く出来ない」と怒って泣いていたのに、落ち着いた頃に私が笑顔で抱きしめて頬擦りすれば2人ともケラケラと笑っているのです。
ああこれでいいのではないかと感じました。
きっとあのモンスターたちは諭したり悟られたりすることを望んでいるわけでは無いのでしょう。
私が参っていたように、この子たちも自分の中のモンスターを上手くコントロール出来ずに参っていたのですね。

ここで私が用意するのは子どもたちを諭すスキルよりも、「大丈夫だよ」と「どんなあなたでも受け止めているよ」とシンプルに伝えることでした。
体全体で抱きしめてみたり、何度も「大好きだよ」と言ったり、安心できる居場所でいるだけで良かったのでしょう。
この先もきっとわが子をぶつかり合ったり喧嘩をしてしまう日々が待っているでしょうが、愛を伝えることは欠かさず向き合いたいと思っております。

【い】『今できることを優先』

食事の支度、子どものトイレやおむつ対応、子どもの着替え、食事の片づけ、合間に自分の身支度、と朝のタスクをこなすだけでも目がまわりますよね。
ただでさえ時間が無いのに、もし子どもがグズッたり甘えてきたりお茶を溢したりしたら、それにも対応が必要となりもうパツパツ状態。
当然イライラもしてしまいます。

けれどあくまでこのイライラは子どものせいではありませんよね。
この場合、子どもが親の邪魔をしているのではなく、目先のやらなければいけない数々が、子どもに対し一生懸命に向き合おうとする気持ちの足を引っ張っている状態です。

家事をされている方にはそれぞれ自分が一番動きやすく効率の良いやり方をお持ちですよね。
わかります、私も何事にもルールを儲けがちな人間です。
そのルールが崩れてしまうと、どこか不完全燃焼した気持ちとなりモヤモヤしてしまいます。
きっとこのルールが固ければ固いほど育児との両立においてなかなか重荷となってしまうのでしょう。

ここで一旦タスクとルーティンを見直されてみてはいかがでしょうか。

私の場合の一例ですが、掃除をするタイミングを朝から夜に変更してみました。
本来私は掃除は朝に行いたい派でした。
窓を開け朝日や風を取り込みながら部屋を綺麗にすると1日のスタートが美しく飾れるように感じておりましたし、外出先から帰宅したときに部屋が整っていると自分の気持ちが軽くなる感じがしていたからです。

ですが前述したとおり、朝はただでさえ慌ただしく予期せぬハプニングも起こりがちです。
その中で掃除をルール化してしまうと、時間に追われる焦りと、予定通りに事が運ばない苛立ちとで精神衛生上とても美しい1日のスタートとはなっておりませんでした。

よって自分の中で掃除に対する価値観とこだわりがどのような形をしているか割り出し、1日のスケジュールの中で子どもと過ごす時間や、トラブルに対して余裕をもって対応できるだけのキャパシティを確保するための優先度を比較した結果、掃除は1日の始まりではなく1日の締めに行うことに致しました。
夕飯後またはお風呂の後、家族がゆったりと就寝までの時間を過ごしているタイミングに、今日の汚れを落としてリセットしようという気持ちで取り組んでおります。

勿論計画通りに行えないことも大前提とし、別の隙間時間にこなしたり、時間配分が上手くいかなくて掃除自体が出来なくても、1日くらいはオッケー!と考えることに致しました。
結果的に今までより朝に少し余裕ができ、焦りながら掃除をしなくて済むようになりました。

「今」のタイミングでしか出来ないタスクは当然ありますよね。
なのでその「今」を優先し、後回しにできるタスクはとことん後回しにしちゃいましょう
順番を変えたり、何なら数日単位でまとめて取り組んだり。
そしてなにより「今」より幼いわが子には二度と会えませんから、自分が優先すべきは何なのか、今しか出来ないことに集中できるよう是非お試しを!

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【う】『羨ましいは捨てる』

「うちの子、まだお喋りが上手じゃないな、他の子はあんなに流暢に喋っているのに」
「うちの子は食べ物の好き嫌いと偏食が多くてまともにご飯を食べてくれないな、他の子は肉も野菜もモリモリ食べていたのに」
「最近化粧もファッションも適当になったな、SNSで見かける同世代のお母さん達は皆んなあんなにお洒落で綺麗なのに」

ついつい他人と自分を比較して落ち込んでしまうこと、ありがちではないでしょうか。
育児にかかわらず、他人の綺麗な部分って際立って目立ち、羨ましく思えてしまうんですよね。
人を羨む気持ちは決して悪いことではないと思います。
羨ましさを感じることで自身を奮い立たせるキッカケを掴むこともあります。
しかし羨ましさが自分を卑下してしまうマイナス要因となるようではメリットは1つもありませんよね。
羨む相手は確かに素敵な人かもしれません。
しかしどんなに素敵な方でも、辛いと感じる瞬間や、頭を抱える問題に直面することは必ずあります。

育児が簡単なものであれば、そもそも少子化問題なんて起こりませんよね。
悩む内容や問題の形が違うだけで皆んなそれぞれ錯誤しながら向き合っている筈です。
「皆んな自分より優れている」と確信の無い虚像を作ったことで生まれた、人を羨む感情に押しつぶされるなんて馬鹿らしくなりませんか?

ここは羨ましさを尊敬の気持ちに変え、思い切って他人の持つ良さを敬愛して良い部分をとことん採用致しましょう。

「あのお子さんとても行儀が良いな、お母さんの声掛けがとても素敵だから、あの言い方は子どもにとって飲み込みやすいのかもしれない、ちょっとわが家でも実践してみるか」
「このインスタグラマーさんは3児の母で忙しいだろうにとてもお洒落で綺麗だな、きっと時間の使い方が私とは違うのかもしれない、他の記事を見て勉強させてもらおう」
と、羨ましいと思った部分は、自分の視野を広げる絶好のチャンスになりませんか。
これを落ち込みに変えてしまうのは勿体無い!
受け取り方を変え、ステップアップに繋げてみては如何でしょう!

【え】『笑顔が正解』

何をいってもこれに限ります。
「今日は何をやってもうまくいかなかったな」「子どもに申し訳ない」「自分は親失格ではないだろうか」、子どもと過ごしていて自分に自信を失くしてしまう状況に陥ることは結構あるのではないでしょうか。
仕事でミスをしてしまったり、忘れ事をしてしまったり、子どもと喧嘩をしてしまったり、子どものちょっとした希望を叶えてあげられなかったりと、たとえ些細な事だったとしても疲れた心にガツンと打撃を与えますよね。
きっと自分自身を責めて苦しくなってしまう方も少なくないでしょう。

私自身が子どもだった頃を思い出してみたのですが、親が元気が無い姿を見たとき、とても不安に感じた覚えがあります。
その時なぜ親に元気が無かったのかはわかりませんでしたが、おそらく体調を崩していたり失敗で落ち込んでいたりと、親自身が抱える悩みが当然あったのでしょう。
当時幼かった自分では到底想定できるわけもなく、ただ不安に感じて「大丈夫?大丈夫?」と抱きつく事しかできなかった記憶があります。

子どもからすれば親の存在が世界の中心といっても大げさではないでしょう。
暮らしと心の軸となる存在の親自身が笑顔でいることが、子どもにとって何よりの安心となる筈だと私は考えます。
笑顔には相乗効果がありますので、お子さんが楽しく笑っているのであれば、他はさしたる問題ではないのではないでしょうか。
お父さんお母さんも是非笑いましょう。

【お】『終わりは必ず来る』

身近にいる育児の大先輩を思い浮かべてみてください。
子育てを終え、様々な形でわが子の巣立ちを経験した方々がすぐそばにいらっしゃるかと思います。
その方々は自身の子育ての話をされる時、子育てが如何にしんどかったかと愚痴にされていますか?
お子さんとの思い出を渋い顔で振り返っていますか?
おそらく違いますよね。
きっと十数年、数十年経過しているであろう話を、当時の鮮度を保ったまま楽しく話されているのではないでしょうか。
当時は苦い経験となった失敗談も、今ではまるで朝食のパンを少し焦がしてしまったくらいのテンションで話されているのではないでしょうか。
それでいて、もう一度幼いわが子に会いたいと思い出を懐かしみながら話されているのではないでしょうか。

「いつになればちゃんと座ってご飯を食べてくれるのだろう」
「どれだけ待てばこの激しい癇癪や反抗は終わるのだろう」

わが子の将来を心配して、ついついわが子が出来ないことばかり日々目に留まってしまいがちです。
けれどふと冷静になったときに、私は少し前に感じていた悩みを思い出すのです。
そういえば、長女は長らくカトラリーの扱いが苦手だったな。
毎回スプーンですくったご飯をぽろぽろ溢していて、ついイライラして強い口調で注意してしまっていたな。

現在長女はぎこちないながらも大人と同じように箸を使って食事をしております。
あんなに不得手だったスプーンも、皿の隅までコーンを追いかけひとつ残らず口に運んでおります。
私はこの子がスプーンを上手に扱えるようになったとき、きちんと褒めただろうか。
「もう!ちゃんと握ってないと溢すよ!ほらやっぱり!いつもそう!」
と、長女の食事の行動1つ1つに躍起になった分、それが上手に出来た時には胴上げをするくらい一緒に喜んであげるべきだったのに、次はもう食事中の落ち着きのなさに目を向けて躍起になっている。

そう、終わりは案外あっけなく過ぎておりました。
きっとこのままでは私は今後も同じことを続けてしまうのでしょう。
「お店の中では静かにしなさい!」
「物は大事にしなさい!」
「宿題を早く終わらせなさい!」
「もっと勉強しなさい!」
「身だしなみを整えなさい!」
と、わが子と向き合うのではなく、子どものためという自分の中のルールを守ることに注力をしてしまうのでしょう。
そして気が付いたころには、わが子は大人になり自分の道を歩み、子育て自体が終わってしまっているのでしょう。

そう考えたとき、自分がわが子に掛けていたこだわりが、一気に自分とわが子を隔てる壁のように感じました。
積めば積むほど視界からわが子が見えなくなるそんな壁に。

おそらく育児に明確な正しさはありません
皆んな親の立場から、親自身の経験から、子どもの幸せを願い様々な環境づくりを頑張っています。
頑張っているからこそ、がむしゃらだからこそ現れてしまう壁が、もし皆さんの目の前で育児の景観を損ねているようなら、一度【あいうえお】を意識してみませんか。

終わりは必ず来ます。
今できることを優先してください。
愛はとことん伝えましょう。
皆さんとお子さんが今笑顔でいられているならそれが大正解です。

著者
なますて
出身:徳島県
学歴:大卒
職歴:営業事務
趣味:ウォーキング、DIY、漫画・ドラマ・アニメ鑑賞

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